焼津と築地~その2~

波除神社13代目で禰宜を務める鈴木淑人(よしひと)様に連れられて、境内正面、鳥居の側にある石碑に向かうと、その表面にはなんと寅吉さんの『手ぬぐい襦袢』に染め上げられた『魚河岸』文字と瓜二つの『魚河岸』が刻まれていました!!


というのが、前回までのお話しでした。

 その石碑の裏には昭和4年11月吉日と彫られており、御本社の御祭神に縁の深い弁財天の社殿として現在の末社をご奉納いただいたときの奉納碑だそうです。

 その横にさらに背の高い石碑が建っており、そちらは大正14年11月吉日と彫られており、日本橋から築地に市場が移転してきた際の奉納碑だそうです。大正13年生まれの寅吉さんとほぼ同じ年月、築地を見守り続けていることになります。

 年季の入った魚河岸文字に感動していた私でしたが、次の瞬間、さらなる感動で胸が一杯になるのでした。

 鈴木様が次に案内してくださったのは本社にある賽銭箱の前でした。「賽銭箱の裏を御覧なさい」といわれた私は、ゆっくりと賽銭箱横の階段を上り、裏を覗いてみました。

その瞬間、身体中に電流が走りました!!思わず「あっ」と声をあげてしまいました。何とそこにも『魚河岸』の文字が刻まれておりました!!しかもこれまた寅吉さんの『手ぬぐい襦袢』に染め上げられた『魚河岸』文字と瓜二つ!!!

 その賽銭箱は昭和12年5月吉日に現在の社殿が竣工するのにあわせて有志の仲買人の方々から奉納いただいたものだそうです。

『魚河岸』という文字が、当時の築地の人々にとって象徴ともいうべき存在であったことをうかがい知った瞬間でした。


前回のブログでも触れさせていただきましたが、寅吉さんの手ぬぐい襦袢の生地は「築地にある神社の大祭の際に、この生地でつくった浴衣を着て参加してほしい」という理由から送られてきたとのことでしたので、鈴木様に大祭について聞いてみると、毎年6月10日に大祭式を開催。10日に近い金曜~日曜に各種祭礼を開催しているとのことです。


『魚河岸』とはもともと日本橋の魚市場のことを指しており、日本橋から築地へ魚市場が移る際に『魚河岸』の名も市場とともに築地へと移りました。

 時は流れ、『魚河岸』も豊洲へと移りました。その書き方も時代や流行とともに変化しております。

現在の『魚河岸シャツ』に染め上げられた『魚河岸』文字は『魚河岸ヴィンテージ』と異なります。寅吉さんの『手ぬぐい襦袢』、そして『魚河岸ヴィンテージ』に染め上げられている『魚河岸』文字は日本橋の『魚河岸』文字を引き継いだものあり、焼津と日本橋と築地、大正、昭和、平成、令和をつなぐものでもあります。

 感動しっぱなしの我々でしたが『魚河岸』の歴史は、我々の想像を遥かに超える深みのあるものでした。

 次回以降は『魚河岸』文字が何に使われていたか、どのように描かれていたのかを探っていきます。

 乞うご期待!!


焼市~yaichi~

大正時代に生まれた手ぬぐい襦袢を復活させるために活動しております。

0コメント

  • 1000 / 1000