寅吉さんとの出会い


昭和50年頃から『魚河岸シャツ』という名前が定着していろいろな進化を遂げながら多くの焼津市民や焼津ファンに愛されている『魚河岸シャツ』。


そのルーツは、戦前から焼津の漁業関係が手ぬぐいを縫い合わせて着ていた『手ぬぐい襦袢(じゅばん)』にまでさかのぼります。


その歴史がある『手ぬぐい襦袢』が、平成から令和へと元号が変わった記念すべき令和元年5月1日に『魚河岸ヴィンテージ』として復刻しました。


このプロジェクトは、平成25年に設立された「魚河岸シャツ協同組合」に所属していた2人が結成したユニット『焼市 YAI-CHI』によって平成30年から進められてきました。


『焼津』と『魚河岸シャツ』を愛する『焼市 YAI-CHI』の2人が辿っていった『魚河岸シャツ』の歴史・・・


その歴史を遡るうちに、焼津の生き字引的な存在であった大正13年生まれの『長谷川寅吉さん(当時93歳)』と出会いました。

焼津に対する誇り


焼津で昔から水産会社を経営し『焼津浜言葉を遺す会』の会長もつとめていた寅吉さんの ご自宅に何度もお邪魔して『焼津』や『焼津港』や『魚河岸シャツ』の歴史についての話を伺っているうちに、寅吉さんが大切に保管していた貴重な『手ぬぐい襦袢』の存在を知りました。


そしてある日、昭和初期の生地で作られた貴重な『手ぬぐい襦袢』1枚と生地反物を突然僕たちの手に託してくれました。

『大切なモノだから失くすなよ!』の言葉とともに・・・


『大切なモノ』とは、この『手ぬぐい襦袢』だけでなく『焼津に対する誇り』だと感じた僕たちは『焼津プライド』を掲げて、この『手ぬぐい襦袢』を復活させることを決意しました。


令和元年9月に、焼津旧港で開催された『魚河岸シャツ祭り』にて、復刻した『魚河岸ヴィンテージ』を着た寅吉さんは、『魚河岸シャツ』を着た多くの人々を目の前に、力強く乾杯のご発声を務めてくださいました。

未来へ繋ぐ


かつて東洋一の漁港と謳われた焼津旧港の、久々の盛り上がりを見届けた寅吉さんは、令和2年1月に、大正~昭和~平成~令和 4つの時代を駆け抜けた96年の生涯を終え、天へと召されました。


今や焼津の地域資源となって多くの人に愛されている『魚河岸シャツ』。


先人たちが大切に育んできた焼津伝統のシャツを、寅吉さんとの想い出とともに『焼津のシンボル』として、これからも大切に守っていきます。

そして『焼津に対する誇り』とともに未来へ繋いでいきます。