焼津と築地~その1~

焼市『YAI-CHI』の結成、『魚河岸ヴィンテージ』を発表して2ヶ月が過ぎようとしています。

『魚河岸ヴィンテージ』を発表するまでには2年以上の時間を要しております。

焼市『YAI-CHI』を結成したきっかけは公式サイトにも掲載しておりますが、長谷川寅吉さんから焼津の歴史や魚河岸シャツについてお話を伺ったことがきっかけです。寅吉さんのお宅へ何度もお邪魔して様々なお話を伺い、築地や豊洲へ視察にも行きました。その間には、たくさんの人々との出会いや様々なエピソード、新しい事実、興味深い歴史を知りました。それらすべてをホームページに掲載したら、ページが何ページあっても足りません。

そこで『魚河岸シャツ』を愛してくださっている人々に『魚河岸シャツ』や『焼津』にちなんだ話を記事として紹介させていただくことにしました。『魚河岸シャツ』は涼しいだけではなく歴史、伝統、文化を背景にして誕生したことを知っていただくきっかけとなれば幸いです。

記念すべき第一回目ですが『焼津と築地のつながり』についてご紹介させていただきたいと思います。

寅吉さんが保管していた『手ぬぐい襦袢』には大きく『魚河岸』の文字が染め上げられています。その生地は昭和30年前後に当時、取引のあった東市(とういち。東京魚市場株式会社の略。現:築地魚市場株式会社)から送られてきたものだそうです。東市の担当者から「築地にある神社の大祭に、この生地でつくった浴衣を着て参加してほしい。」といわれた寅吉さんですが、すでにその頃には手ぬぐい生地をシャツにして着る習慣があったため、「俺は浴衣なんか着ない!!」といって断ったそうです。さすがは鯔背な寅吉さん、焼津プライドを感じます。

そして、その生地をシャツに仕立てたのが、『魚河岸ヴィンテージ』が誕生するきっかけとなった寅吉さんの『手ぬぐい襦袢』です。ちなみに寅吉さん自身は『てぬげー襦袢』と呼んでおります(笑)。

そこで、我々はその神社はどこなのかを調べることにしました。

寅吉さんからは「築地の入口にある。」と聞いていたので、一路東京築地へ。そして、築地市場を歩くと入口付近に趣のあるたたずまいの神社が!!

その神社は波除神社といって約300年前に建立されました。その日は運がよく13代目で禰宜を務める鈴木淑人(よしひと)様からお話を伺うことができました。


まずは波除神社の歴史について。

今から350年程前、築地一帯は一面の海でした。それから各地で埋め立て工事が始まり、4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。

ある夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。ところがそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。萬治2年(1659)の事だそうです。

人々は、稲荷大神に 『波除』 の尊称を奉り、又雲を従える<龍>、風を従える<虎>、一声で万物を威伏させる<獅子>の巨大な頭が数体奉納され、これを担いで回ったのが祭礼 『つきじ獅子祭』 の始まりだそうです。

その御神徳はその後も益々大きく、当時辺境の地であった築地も次第に開け、現在の賑やかな築地となりました。

鈴木様に寅吉さんの『手ぬぐい襦袢』を見せると境内の石碑を案内されました。その石碑にはなんと寅吉さんの『手ぬぐい襦袢』に染め上げられた『魚河岸』文字と瓜二つの『魚河岸』が刻まれていました!!

この話の続きは次回、お伝えします!!

乞うご期待!!!


焼市~yaichi~

大正時代に生まれた手ぬぐい襦袢を復活させるために活動しております。

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